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デッスンの個人日記

デッスンの個人日記

記憶を無くした剣士(前編)

記憶を無くした剣士 前編
 男の子の夢の多くは、「立派なナイトになって大好きな人を守る」というのが一般的な主流であろう。
 しかし、また多くの者はその夢を諦めたり、途絶えたり、無念のうちに儚く散ってしまう者も少なくない。
 もし、諦めたり、途絶えたりしなくても、理想とした力に辿りつけず、中途半端に終わってしまう者も少なからず居るのが現実だ。
 それでも、その夢を追いかけようとナイトたちが集まり作った町。
 シルバーナイトタウン。
 村の周りは森に囲まれ、北部には案山子が無数に立ち並ぶ。
 町の広場にはドワーフ倉庫があり、道具屋、武器防具屋、鍛冶屋、宿屋が建ち小さいながらも充実した町といえるだろう。
 その広場に片隅に一本の大きな木が建ち、真夏の日差しの中で青々と若葉が茂り、地面に淡い木陰を作り出す。
 その木陰に腰を下ろす一人の男が居る。
 見た目20代後半と思える顔立ちだが、髭などはしっかりと剃られており、身なりはきちんとした男だ。
 レッドナイトフードを頭に巻き、がっしりと輝くエルヴンプレートメイルは、彼のクラスをナイトだと示している。
 彼の傍らには青色が特徴的なエヴァシールドと、ツルギが木の幹に立てかけられており、クリスタルグローブやアイアンブーツの防具もきちんと身に着けている。
 暑さのあまり、つい脱ぎたくなる者も多い中、彼は夏の暑さなど感じていないのではないかと思うほどだ。
 何とかすれば火もまた涼しいという古き言葉があるが、それを悠々やれる者などそう多くないだろう。
 しかも、装備を見た限りかなり凄腕のナイトではないか、と広場に居る者たちは思っただろう。
 しかし、彼はそんな事を気にしている様子は無い。
 彼には何よりも先にやらねばならぬ事があるのだから。
「はぁ………」
 彼はため息と共に視線を空へと向けた。
 夏の空は青く、働きすぎでその内過労で倒れるのではないかと思うほど輝く太陽、風に玩ばれるように形を自由に変える白き雲。全ては極普通だ。
 視線を下ろし、森を見て町を見る。
 森たちは大きく葉を作り太陽の光を全身に受け取り、夏の風に煽られ、風の音と共にセミたちの喧しいほどの鳴き声をBGMに人々もまた忙しなく動いている。
 見ている全てが極自然であり、当たり前の光景だ。
 しかし、彼だけは違った。
 極普通であり、極自然にも関わらず、彼だけは何か外れているような気がする。
 否、何か外れているのではない。実際に外れているのだ。
 彼は再び空を見上げ、吐き捨てるように言った。
「俺は、誰なんだろうか……」
 その言葉を誰かが聞けば、何言ってんだ? とか、熱中症でおかしくなったのか? と問い返すだろう。
 しかし、彼にして見れば冗談でも何でもない。
 彼は記憶喪失なのである。
 自分が誰なのか、ここで何をしているのか。まったく思い出せないのだ。
 普通の記憶喪失というものは、自分が誰で此処は何処なのかまったく分からない状態に陥るのだが、幸い此処が何処なのかは分かっていた。
 別の町に行けばそこが何という名前なのかも何となく思い出せる。
 でも、人の顔や名前などは一切思い出せない。
 ここで少し人の記憶について少し語ろう。
 まず、一つ本棚を用意する。これが人が覚えられる限界の量だとしよう。そして、記憶を表す物は本だ。人は物事を覚えるたびに本が増えていき、本棚を埋めてゆく。そして、本を作る際、大事だと思える物にしおりを挟んでゆく。思い出す行為は、しおりを目印に探す行為だ。
 人の中には顔と名前が覚えられない人がいる。これは、人と名前のしおりが一致しないために起こるため、一応記憶と言う本には書き留められる事となる。
 では、記憶喪失という物はなんだであろう。
 脳に強い衝撃や、感情の介入により、本に挟まれたしおりが外れ、本がぐちゃぐちゃになってしまうのである。
 記憶喪失という名前ではあるが、実際に失った記憶など無い。
 その為、思い出すことが出来たとしても、それが何の情報かが分からないため、分からないと表現するしかないのだ。
 だが、人の記憶には大きく分けて二種類存在する。
 まず一つは、思い出などを覚える記憶。
 もう一つは、身体などで覚える記憶だ。
 もし、記憶喪失で両方の記憶を完全に失ってしまった場合、人は立つことすら出来ず、喋る事もろくにできずに、赤ちゃんのようになってしまうだろう。
 しかし、そんな事例は特別な病気が無い限り有り得ないと言っていいだろう。
 そして、彼もまた思い出の記憶の混乱により自分が誰なのか分からないで居る。
 彼は、何十回も繰り返した自分の装備を改めて確認する。
 レッドナイトフードにエルヴンプレートメイル、エヴァシールド、ツルギ、クリスタルグローブにアイアンブーツ、防具や武器の名前は分かるのに自分の名前が分からないとは何とも皮肉な話だ。
 彼は腰に付けたポーチを開け、中から道具を取り出す。
 中には数多くの小瓶が入っている。体力を回復するレッドポーションや、動きを早くすることが出来るヘイストポーション、ナイトだけが使えるブレイブポーション。他にも砥石や何枚かのスクロールが入っている。
 他のものと言えば、応急処置になどに使えそうなタオルやハンカチといった類のものだ。
 目の前に並べて見るが、彼は残念そうに顔を振り、並べた物をポーチに戻してゆく。
 何十回も繰り返した作業で、探しているものは一つ。
 名前が入った品物だ。
 名前さえ入っていれば、誰の名前でさえ構わなかった。
 それさえあれば、それを元に人を探し、何か思い出せるかもしれないのだから。
 しかし、彼の荷物にはそれらしいものは一つも入っていなかった。
 便箋があれば、差出人と受取人の名前が表記され、重要な手がかりになっていたであろうが、記憶を失う前の自分は、便箋を残さない主義だったのか、或いは、便箋など貰ったことが無いのか。
 ……もし後者である場合、とても寂しい人間だったんだな。
 考えているだけでも鬱になりそうだ。
 念のために装備も念入りに調べたが、名前など無かった。
「子供じゃないんだから、いちいち装備に名前を書くことなんてする分けないか……」
 当たり前のことであるが、今はその行為が心細い。
 先ほどと変わらぬ格好で、木の幹に身体を預け、これからすることを考える。
 現在の所持金は十分と言えるほど持っているが、宿屋代や食事代で使っていけばすぐに底を尽きてしまうだろう。
 広場中心に居るドワーフ倉庫にいくらか蓄えがあるかもしれないが、己の名前すら分からないのに、倉庫を利用など無茶に等しい。下手したらガードに連行され、監獄入りも有り得る。
 では、町から町を転々として、俺を知っている人を探すべきであろうか。
 しかし、なんの手がかりを持たずに探す行為など、砂漠で米粒を探す行為に等しい。それでも、可能性は0ではない。
 ……大きな街へ行けば何とかなるかもしれない。
 そう考えた、その時、
「隣、よろしいですか?」
 可愛らしい女性の声が聞こえた。
 空を見上げていた視線を下ろし、前を見れば、いつの間にか目の前には一人の女性が屈むような姿勢でこちらを見ていた。
 木陰の外で立っているため、額からは汗が浮いている。
 彼は記憶を失ってから何日かここに座って居たが、この場所は彼だけの場所ではない。
 だから彼は首を縦に頷くと、彼女は笑顔と共に、ありがと、と言って彼の横で腰を下ろした。
 律儀にも正座でだ。
 日差しの下はよっぽど暑いのか、彼女は安心したかのようにため息と共にハンドタオルで汗を拭いてゆく。
 服装は一般的な服とは違い、どちらかと言うと冒険者向けの服装であるのが伺えるが、防御力よりも動きやすさや何らかの雰囲気を重視した服装といえる。
 それを示すように、彼女の左腰にはきれいに装飾されたシルバーロングソードが括り付けられている。
 彼はしばらく横目で彼女を見ていたが、再び視線を上へ戻した。
 気がついてからここ5日ほどずっと行っている行為だ。
 さすがに5日も同じ場所で、同じことをしていれば、人目につき、あまつさえ変な目で見られている気がする。
 しかし、彼は空を見上げる行為はわりと好きであった。
 前から空を見る行為が好きなのか、記憶を失ってから好きになったのかは分からないが、なぜか心が落ち着いた。
 それから、思考は再びこれから何をするべきかに到り、大きな街へ行こうという結論になる。
 が、身体は動こうとしなかった。
 なぜか分からないが、もう少し空を見ていよう、と思うばかりである。
 記憶を失っても不安になった事は今まで一度も無いのが不思議であった。
 何でだろうっと思っていると、
「今日も暑いですねぇ」
 不意にという形で彼女が彼に顔を向けながら話しかけてくるが、彼は驚きもせずに、
「夏だからな」
 と、適当に答えた。
 その様子が可笑しいのか、彼女は、ふふふ、と笑い、そうですね、と続けた。
「貴方は最近、ここでよく空を見上げていますね。何を見てるのですか?」
 何を見ているんだろう。
 自分でもそう思いながら、
「空」
 と短く答えた。
 それ以外答えなんて見当たらなかったからだ。
 すると、隣から笑い声が聞こえた。
「あはは、そうですよね。空を見上げてるのに何を見てるの? なんて訊けば空しかありませんものね」
 よっぽど面白いのか、彼女はお腹を抱えて肩を震わせていた。
 しばらくして、すみません、と言いながら笑うのを止めるが、きっとちょっとしたきっかけでまた笑い出すに違いない。
「夏の空が好きなの? それとも空自体が好きなのですか?」
「……分からない。ただ、何となく見てるだけ」
「そうなんですの。――私は夏の空が好きです。太陽は嫌いだけどね」
 ほら、と言いながら彼女は袖を捲りながら、
「こんなに日焼けの後が付いちゃうんですよ。これじゃ水着着れませんね」
 お互い初対面のはずなのに、なぜこのような会話が出来ているのか不思議であった。
 そして、しばらくまた空を見上げながら彼は言った。
「クラン員の勧誘か?」
 彼女から何らかのオーラを感じていたからだ。
 今は混沌とした時代であり、反王ケンラウヘルに城を襲撃される話はよく耳にした。
 何も反王だけに限らず、私利私欲の為に民から高い税金をせしめたりする悪徳の人も少なくない。
 そんな悪い奴らから平和を勝ち取ろうと動いている者も少なくないと耳にする。
「はい。これでも一応それなりの血筋は引いていますので」
「ふーん……」
 考えてみれば、自分はどこかのクランに身を置いているのだろうか。
 しかし、自分の荷物の中にはクランに入った証を持っていない。
 その証とは各クランによって形は異なる。
 とあるクランでは、ネックレスのようになっていたり、イヤリングであったり、はたまた指輪であったりと、多種多様なのである。
「貴方は見た限りどこかの血盟に入って居なさそうに見えませんけど……、どうです?」
 確かに、彼はクランに入っていない可能性が高い。
 クラン探しも自分の記憶を辿る一つの鍵なのかもしれない。
 彼は空から視線を下ろし、彼女と向き合う。
「すまないが、俺は血盟に名を置くことは出来ない」
「何故と問いてもよろしいですか?」
 彼は首を横に振り、
「訳は話せない。……いや、話せば迷惑を掛けるかもしれない」
「そんなの話してみないと分からないのでは?」
 確かに、話してみないと相手にそれが迷惑かどうかは分からない。
 それでも、彼は話そうとは思わなかった。
「悪い……それでも話せない」
 そう言うと、彼は荷物を持ち立ち上がった。
 彼は何となくそこの木陰に居ただけであり、目的は無い。しかし、彼女にはクラン員の勧誘という重要な事をしているため、離れるなら俺のほうだろう。
 向かう先など何処でもいい。とにかく離れて、迷惑を掛けまいとする行為だけである。
 夏の日差しの中を進んでゆくと、すぐに額に汗が浮かび、雫となって流れてゆく。
 それでも彼は構わず進んでゆく。
 しばらく歩いて気が付いた時には町から出ており、森の中で立ち止まっていた。
 森が作り出す木陰と通り抜ける風が、身体を冷やし思考に冷静さを取り戻してくれた。
「俺は何故、離れようとしてるのだろうか」
 ……記憶が無いから?
 しかしそれは言い訳でしかない。
 では何であろう。
 考えてみるが分からない。
「くそっ」
 と、思考を吐き捨てるが、今更分からないものが一つ増えた程度でどうということも無い。
 どうせだから、このまま森を抜け、水の都ハイネへ行こうか考え始めたその時、
「きゃあああ」
 人の悲鳴が聞こえた。
 誰だ、と思う以前に身体が動いていた。
 落ち葉や、木の根を踏みつけ、木々の間を縫うようにして走っていた。
 声の大きさからするとすぐ近くである。
 他にも声を聞きつけ、助けに向かったものが居るかもしれないが、それでも彼は走った。
 そして視線の先、約50メートルほど先に見えるのは森の中の小さな広場だ。
 そこでまず眼に入ったのは、先ほど悲鳴の主であり、彼に話しかけてきた女性だ。
 彼女が手に持っている物はシルバーロングソードと一般的な武器であるが、防具のほうは勧誘していた時と変わらぬ生易しい装備であった。どうやら、慌てて森に入ったようだ。
 なぜ、慌てる必要があるのか。
 考えるほどの物でもない、答えは彼を追ってきた意外に無いのだから。
 彼女の許へ走りながら、対峙している相手を見る。
 黒き鎧に、長いランスを構えている6つの影、ブラックナイトだ。
 反王で名高いケンラウヘルの下っ端相手だが、優れたナイトでも6体で囲まれるとさすがに無傷でやり過ごすのは難しい。それにも拘らず、彼女は無謀とも言える姿で森に足を踏み入れていたのだ。
「くそっ!」
 言葉を吐き捨てるよりも先に足に力を入れ全力で駆け出す。
 しかし、どんなに足が速くても、50メートルという距離は一瞬では縮まることが無かった。
 1体のブラックナイトがランスを振り下ろし、彼女はそれを剣で受ける。が、それは間違いだ。
 敵に囲まれた場合、肝心なのは常に動ける状態にしていないと行けないということだ。
 もし、敵の攻撃を受け止めたり、動きを封じられるような事があれば、それは単なる的になるようなものだ。
 その事に反瞬遅れて気が付いた彼女だが、時すでに遅し。
 もう1体のブラックナイトがランスを彼女の左股に突き立てた。
「――っ!?」
 彼女からは声にならない悲鳴が響く。
 それでも彼女は無事な右足に力を入れ、バックステップで離れる。
 木の幹に背中を打つが、木の幹に身体を預け何とか立っていられる。
 ブラックナイトたちはゆっくりと彼女に近づいていく。
 先ほど殺そうと思えば、簡単に殺せるところを奴らはそれをしなかった。
 それは、相手を殺すのではなく捕らえるのが目的なのだろう。
 しかし、それが彼にとって都合のいいことであった。
 ゆっくりと近づいていくブラックナイトの前に滑り込むようにして割って入った。
 挨拶がてらにツルギを振り回し、相手の手甲に傷を付けるサービス付きだ。
 突然の登場人物に少々焦ったのか、ブラックナイトの動きが止まる。
「大丈夫か?」
 ブラックナイトと対峙したまま背後の彼女に声を掛ける。
「あ……、は、はい」
 頷くが、彼女の左足には刺し傷があり、血でスカートを汚していく。
 致命傷には到らないが、早急に処置をしなければならない。
 ウィザードのヒールがあれば、傷跡はきれいに消えるのだが、もし自分が森に入らなければ、彼女は怪我を負わなくても済んだはずだ。
 己の愚かさに舌打ちしつつ、ブラックナイトに剣を向ける。
「俺が相手をしてやるよ」
 敵を前にしても、心は自然と落ち着いている。
 どうやら、身に着けている装備イコール戦いの経験になっているのだろう。
 己の記憶を辿る手がかりにはならなかったが、今は何とも頼もしい限りだ。
 敵もこちらを敵だと認識したのか、兜に隠れた視線から殺気を感じた。
 まず動いたのは、両端に居たブラックナイト2体だ。
 左右から挟むようにしての攻撃。
 1体がおとりで、もう1体が本命の攻撃である。
 その攻撃は有力の力はあるが、お互いの攻撃はまったくの同時に行われることは無い。
「そんな子供騙し効くかよ!」
 本来なら避けるべきなのだが、ここで彼が避けたら彼女が犠牲になる。
 だから避けれない。
 避けれないのなら迎え撃てばいいだけでだ。
 エヴァシールドを突き出し、一瞬早くこちらに届くランスを払う。
 がら空きになったブラックナイトにツルギを斬り払う。
 一瞬遅れてくるブラックナイトのランスを身体を捻ることで交わし、盾で相手の顔面をぶん殴る。
 金属の音が響き、その中心にいるブラックナイトの意識は簡単に吹き飛んだ。
 あっという間に2体のブラックナイトが地に倒れた。
 残りは4体。
 リーダーらしきブラックナイトが何かを叫ぶと、残り3体が一斉に襲ってきた。
 だが、彼は引くことは愚か、むしろ向かって走り出した。
 身を低くして、素早く、そして力強く走る。
 突き出してくるランスを交わし、盾で弾き、ブラックナイトとすれ違いざまに斬りつけて行く。
 通り抜けながら3体のブラックナイトを倒し、残りは1体となる。
 助走を殺さぬ勢いのまま、最後のブラックナイトへと走る。
 対する敵は盾を突き出し、防御に徹した。
 こちらの攻撃を防ぎ、隙を突く作戦のようだ。
 だが、彼は分かっていた。
 突き出した盾の影にランスを構えている事に。
 そして、攻撃範囲内に入ったら盾を退かしランスを繰り出してくる。
 一見防御の構えだが、実は攻撃的な構えなのを。
 それでも彼は迷い無く真っ直ぐに走りながら、突っ込んでゆく。
 そして、ブラックナイトの攻撃範囲ぎりぎりのところで、彼は動きを示した。
 左手に持っていた盾をブラックナイトに向け投じたのだ。
 予想外の行動に、とっさに盾で防いだ。
 しかし、それが狙いだ。
 ブラックナイトの視界は盾で封じられ、彼の位置を把握することが出来ない。
 その事に気付いたブラックナイトは焦りと共に盾を払いランスを突き出すが、ほとんど勘と言って良いほどの攻撃は、彼の左頬を掠める程度で空を斬る。
 盾は払い、ランスは突き出した状態で、懐はがら空きだ。
「吹き飛べ!」
 彼の剣がブラックナイトを捕らえ、殴りつけるように吹き飛ばした。
 数メートル吹き飛ばされたブラックナイトは、木の幹に轟音を奏でて絶命した。
 彼が参戦してから2分と経ってはいないだろう。
 ブラックナイトたちを一掃し、再び森に静けさが戻り、遠くからセミの鳴き声が響いてくる。
 剣を鞘に収めながら投げた盾を拾うと、彼女のもとへ小走りで急ぐ。
「傷を見せてみろ」
 彼女を木の根元に座らせ、傷の度合いを確認する。
 身体には擦り傷や掠り傷などが多いが、大怪我は左股以外には見受けられない。
 傷はそう深くは無いが、止血をしなければ体力が奪われる。
 彼はすぐにポーチからハンカチとタオルを取り出し、止血を行う。
 傷口は左股の付け根に近い部分のため、スカートを捲らなければならないが、そんなことを気にしていたら相手に失礼だ。
 手が血で汚れるのも構わず傷口にハンカチを押し当て、タオルできつく縛る。
 応急処置でしかないが、今出来ることはこれぐらいしかない。
 下手に動けば傷口を広げる恐れがある。
 処置もひと段落し、彼は彼女の横に腰を下ろす。
「ご、ごめんなさい。迷惑をかけてしまって……」
「気にするな。俺も悪いのだから」
 手を拭こうとポーチの中を探すが、生憎タオルはもう無かった。
 代わりになるものは無いかと探していると、横からハンカチを差し出された。
「私のを使えばよかったのに、ごめんなさい」
 ハンカチを受け取りながら、
「そこは対して問題にはならない」
 ハンカチで手を拭くが、さすがに匂いまでは取れはしないが仕方が無い。
 彼は、それに、と続け、
「謝るのは止してくれ。君を助けたのは俺の意思なのだから」
「それでも、謝るべきです」
 力強く言い切った。
 どうやらいくら言っても彼女には効果が無いだろう。
 彼は軽くため息を吐き、
「謝られると、俺は君に何か見返りを貰わなければならなくなる」
「え、……えっと」
 何か差し上げるものは無いか考えているのか、あちこち見渡すがこれといった物が無いようだ。
 そして、うーん、と唸りながら考え、何かを思いついた表情をするが、一瞬で顔と耳を真っ赤にした。
「そそそそそんなだだだダメですよ私なんてそんなに大きくありませんしまだ経験もありませんしそれにもっといい女性ならたくさんいらっしゃいますしそれでも命の恩人なのですからそれぐらいが当たり前かもしれませんがそれでも私には――」
 顔に火がついたという表現がとても似合い、区切ることは無く次々と言葉が出てくる。
 別に見返りなど望んでいる訳ではないが、むしろ命を助けた程度で彼女の言っている見返りなど願い下げだ。
 その時、勢い良くこちらに走ってくる足音が二人分。
 ……ブラックナイトの残存か?
 膝を立て、新手に供えると、
「大丈夫かセレナ!?」
 声と共に現れたのは、男性のナイトと女性のウィザードだ。
 セレナと呼ばれた女性は、2人を見ると笑顔をいっぱいに出して、
「ベルガ! キスティ!」
 と喜んだ。
 しかし、2人は険しい表情でセレナに駆け寄ると、
「あ~あ~、まったくこんな怪我をしちまいやがって! ちょっと目を離した隙にこの森に入れるなんて何考えてんだ!」
「そうよ! ただでさえ戦い慣れしていない貴女なんてブラックナイトの餌食にしかならないんだから!」
 2人して説教を始まった。
 セレナは先ほどの笑顔から身体を縮ませ、ごめんなさい、を繰り返す。
「ったく……、ヒール頼むわキスティ」
 キスティと呼ばれたウィザードは杖を構えると、回復魔法ヒールを唱えた。
 黄緑色の霧がセレナの身体を包み、傷口を塞いでゆく。
 光はすぐに収まり、セレナの傷口を完全に塞いだらしく、彼女は立ち上がると、治った! っと騒いで飛び跳ねている。
 ……仲間が来たのならばもう大丈夫だろう。
 彼も立ち上がり去ろうとすると、
「ちょっと待ってくれ」
 ベルガと呼ばれていたナイトがこちらを呼び止めた。
「お前がセレナを助けてくれたのか? ありがとう。ぜひ名を聴かせてくれないか?」
 命の恩人の名を聞く行為は極自然のことであろう。しかし、名を持たぬ彼にとってはどう答えればいいのか少々悩んでしまう。
 その悩みの表情をどう捉えたのか、キスティがベルガを肘で突付きながら、
「ちょっとベルガ」
「ん? ……ああ、そうか。まず、こちらから名乗るのが礼儀だったな。俺は見ての通りナイトのベルガ、こちらが君主のセレナ、そしてウィザードのキスティだ。クランを創設してまだ日が浅くてね。創設したばかりで君主が死んでしまっては冗談にならなくてな。いやはや、本当に助かった」
 そう名乗られてしまっては、こちらも名乗らなければ失礼に値する。
 ここで適当な名前を名乗って去るという選択肢もあったのだが、それをしてしまった場合、何か罪悪感が残りそうであった。
「すまない。俺は名乗ることが出来ないんだ」
「おいおい、そりゃ無いぜ。命の恩人の名を教えずに去るなんてどこのヒーローだよ?」
「いや、違うんだ。名乗れないじゃなくて、名乗ることが出来ないんだ」
「……どういう事だ?」
「信じる信じないは其方に任せる。俺は今、自分の名前さえ分からないんだ」
 さすがに3人は、何を言っているの、という表情になるが、しばらく考え、
「……つまりあれか? え~と、あれだよ、ほら……」
「記憶喪失ですね」
「そう! それだよ! ってか、本当に自分の名前も分からないのか!?」
 彼が頷くと、ベルガは悪びれた様子で頭をかきながら、
「そうか……、そいつは悪い事を聞いちまったな」
「いや、良いんだ。気にしないでくれ」
「しかし、ナイトが名前がナイトと不便じゃないか?」
 殺人的な親父ギャグがベルガから飛び出した。
「………」
「………」
「………」
 誰一人笑うどころか、彼に向かって蔑みの眼で見る。
「冗談だよ。冗談! そんな冷たい眼で見るなって」
「ベルガ、次にそんな事を口にしたらアイスランスを喰らわすわよ?」
 キスティの背筋が凍るほどの言葉と笑顔が何か怖い。
「あぁ~、あれねぇ……。夏の暑い日には最高だが、その後放置されるのはきついな~」
 それなら今から放置しよう。とでも言うようにキスティはベルガを無視して、
「とりあえず、セレナも動けるようになったし、町へ戻りましょう」


 4人はシルバーナイトタウンへ戻ると宿を取る事にした。
 まだ晩餐には早すぎるため、時間まで適当に過ごす事となった。
 第一、セレナのスカートには穴が開き血で汚れていては人前に出るのはきつい。
 一先ず彼も自分の部屋へ近づくと、ベルガとキスティが扉に背中を預けて立っていた。
 近づいた彼に気付いたキスティは、背を離しこちらに向き直る。
 ベルガも同じように向き合うが、どこかあどけない感じがする。
 突如、彼女は剣を抜き彼に向けた。
 鼻先1センチ手前に剣を突き立てられても彼は瞬き一つ動じることは無かった。
 向き合い短い沈黙の後、先に口を開いたのはキスティだった。
「正直、貴方の記憶喪失という話はあまり信用できません。いったい何の目的でセレナに近づいたのですか?」
「お、おいキスティ。そういう言い方は無いだろ」
「ベルガは黙っていなさい」
「……はい」
 まるで叱られた子犬のように肩をすくめながら、ベルガは一歩下がった。
 視線を再び彼に向け、もう一度言った。
「さぁ答えなさい。いったい何の目的でセレナに近づいたのですか?」
 まだ会って間もないと言うのに、ずいぶんなご挨拶だ。
 しかし、逆に間もないからこのようになってしまうのだろうか。
 ……よっぽどの事情があるようだな。
「ブラックナイトからセレナを助けて頂いた事には一応礼を言います。しかし、私はあまり貴方を信用できません」
「言ったはずだ。信じる信じないは其方に任せると。信じられないのならそれでも俺は一向に構わない」
「そうですか……」
 キスティは剣を鞘に戻しわするが、鋭い視線だけは止めようとはしなかった。
「もしも、あの子に何かあった場合、私はまず貴方を疑うでしょう。それだけは心得て置いてください」
 ローブの裾を翻し、廊下の奥へと去ってゆく。
 残されたベルガは苦笑いで彼に近づき、
「命の恩人なのに変なこと言っちまって悪いな。キスティにも悪気は無いんだ。これにはいろいろと訳があるんだよ。もし良かったら聞いてくれないか?」
 疑問で問いかけたくせに、有無を言わずにベルガは話し始めた。
「実はな、俺とキスティは仲間と言うよりも、セレナの近衛と言った方が言葉的に合うんだよ」
 廊下のど真ん中でそんな事を話さなくても良かったと思うのだが、彼は黙って聴くことにした。
「セレナは少し前はそれなりに名の通った貴族の一人娘だったんだよ。王族の娘じゃなくて貴族の娘ね。ここ重要な」
 どんな事に対して重要なのだろうか。
「それでごく最近、一週間前に反王ケンラウヘルの奴らに襲われてな。俺とキスティが何とかセレナだけは助け出したんだけど、他の者はみんな殺されてよ」
 一週間前というと、彼が記憶を無くした日と近い。
 しかし、何らかの共通点がある可能性は0に近いだろう。
「家族を失うと同時に何もかもを失っちまったんだ」
 ……俺は記憶も何もかも失ったけどだ。
 そう口にしようとしたが、とりあえず止めて置いた。
「それでも奴らにセレナが生きている事を知られていてな。しつこく追いかけて来るんだよ。それで町を転々としながら逃げ延びてるんだが、敵も鼻が効くようでな。そろそろやばいんだ」
「それならどこかの城やクランにかくまって貰えばいいだろ」
「その案もあるが、セレナがなかなか首を縦に振ってくれなくてな。ははは、近衛としての習慣がしっかり染み付いているせいで主人の言うことは逆らえないんだよな」
 しっかりしているのか、どこか頼りないのか、良く分からない奴だな、と彼は思った。
「……それが俺に何の関係があるって言うんだよ」
「ああ、関係なんてまったく無いな。それでも、これだけは覚えておいて欲しい。セレナは『お前を追いかけて』森に入った、て事だ。要するに、セレナはお前の事を気に入っちまったって事だよ」
「そんな事を言われても、俺がどうこうする事じゃない。彼女の問題だろ」
「まぁ、そりゃそうだな。おかげでキスティが怒るわ、こんなことに付き合わされるわでこっちも大変なんだ」
 ベルガは彼に手を合わせて頼み込むようにして、
「ここは一つよろしく頼むわ」
 そう言ってベルガも去って行った。
 そんな事を言われたとしても、名を持たぬ彼にとってどうすれば良いのか分からないものであった。


 夕食の時間まで得にすることも無いが、気が付けばいつもの場所で仰向けに倒れて空を見ていた。
 太陽は西に傾き、青い空は紅く変わり始めている。
 今彼の格好は、Tシャツにジーンズというかなりラフな格好で傍には愛刀のツルギがある程度だ。
 夕空を見上げたまま、風にそよぐ葉の音が心地よい。
 しばらくその音に耳を傾けていると、控えめな足音が聞こえた。
「良かった、やはりここに要らしたんですね」
 視線を夕空から声のほうへ向ければ、そこに居るのはセレナであった。
 昼間の服装とは異なり、今は夏を感じさせるキャミソールにロングスカートという可愛らしい服装だ。
「隣、よろしいですか?」
 昼間と同じ台詞だな、と思いながら、
「……あぁ」
 と、頷いた。
 そしてまた昼間と同じように、ありがとう、と言ってセレナは彼の隣に腰を下ろした。
 その姿はやはり正座であった。
 夕方となれば、太陽は森の影に隠れ日陰が多くなるが、それでもまだ昼間の暑さが残っている。
 町の広場の倉庫ドワーフの付近にも人々は少なくなり、割と静かだなと思いながら、彼は口を開いた。
「2人はどうした?」
「席を外して貰いました。貴方とゆっくりと話してみたかったので」
 ……記憶を無くした相手とゆっくり話してみたいものなのか?
 疑問に思ったが、彼は口にすることは無かった。
 しばらく2人の間に沈黙があったが、セレナがゆっくりと会話の幕を開けた。
「ベルガが余計な事を話したみたいですね」
 彼にとっては特に迷惑な事だとは思っていないが、彼は黙秘していることにした。
「別に貴方に一緒に来て欲しいとは願いません。ただ、今この時だけでも良いので一緒に居て欲しいとそう思っているだけで……」
 強がっているのが見え見えであった。
 どんなに言葉を並べたとしても、セレナの表情からは一緒に来て欲しいとしか見て取ることしか出来ない。
 ……すっかり気に入られたものだな。
 彼は再度視線を空に向けた。
 先ほどよりも赤の色が濃くなり、西の方の空は夜の闇に変わりつつある。
「す、すみません勝手なことを言ってしまって、……め、迷惑でしたら遠慮なく言ってください。すぐに行きますので……」
 すでに、言葉だけで彼女がどんな表情をしてるか手に取るように分かってしまう。
 ……そんな表情をされて「はい迷惑です」なんて言える訳無いだろ。
「別に、……迷惑だとは思っていないさ」
「あ、ありがとうございます」
 深々と頭を下げた後で、彼女も空を見上げていた。
 それからまた2人の間に沈黙の幕が下りてしまった。
 いつまでもこうしていても埒が明かないので、今度は彼から切り出すことにした。
「あんたらは、これからどうするつもりなんだ?」
 視線は空に向けたまま彼が尋ねると、セレナは視線を彼に向け、はい、と頷き答えた。
「とりあえず、アデンへと向かおうと思っています」
 アデンと言えば、このメインランドで一番大きな街である。
 ……そこに行けば俺の知っている人が居るかもしれないな。
 と、考えていると、
「実は、そこに私の婚約者となる方が居るという話を昔、お父様に聞いたことがあるんです」
 ふぅん、と心の中で適当な相槌を打っていると、疑問が出てきた。
「……聞いたことがある?」
 問い返すとセレナは再び、はい、と頷きはするが、何処と無く力が抜けた返事だなと思った。
「お父様たちが言っているだけですので、実際にお会いになられたことは無いんです。優秀な人だとはお聞きしていますが、まだ会ったことも無い人と結婚させられるなんて私はあまり気が進みませんでした」
 ……貴族の娘というものも大変な物だな。
 親の言いつけだけで好きでも人と結婚を強いられ嫁いでいく。
 何不自由ない生活の裏には、少なからず嫌な運命というレールが敷かれており、その上を強制的に走らされる。
 立ち止まることも、路線を変えることも禁じられる嫌なダイヤルだ。
「もちろん、私の兄弟に男の子が恵まれなかったため仕方ないと分かっております。ですが、それだけで割り切れるほど私は出来ていません」
 ですが、と彼女は続けた。
「本来なら私の家系が潰れてしまった時点でその話は破棄されるのですが、それではあの2人が一緒に居てくれていた意味が無くなってしまいます。ベルガとキスティは私が幸せになることを望んでいます。その気持ちは大変嬉しいのですが、私が2人に重荷を持たせてしまっているのが……」
 少し話した程度であるが、ベルガもキスティもセレナの幸せを願っているのには違いないだろう。
 しかし、その想いが逆にセレナを追い詰めてしまっていることに、恐らく2人は気付いているだろう。
 2人はセレナに幸せになってもらいたいと願い、セレナは2人にはやく重荷を降ろさせてあげたいという二つの想いが交差しているのだ。
 ……やはり貴族というものは嫌だな。
 彼は再度そう思った。
「こんな時、あの方がいらっしゃれば良いのに……」
「……あの方?」
「ああ、すみません。えっと、私がまだ幼い頃、短い間でしたが仲良く遊んで下さった方なんですよ」
 それからセレナはその人の事を次々に話して言った。
 セレナよりも5つも年上というや、やんちゃで元気一杯の男の子だったこと。
 好きな物や嫌いな物、好みや性格などを聞いても居ないのに話していく。
 その表情はとても嬉しそうに話していた。
「あの頃は本当に楽しかったです。ですが、別れの時は訪れるものです」
 寂しいという言葉の裏には何か大事な物が感じ取れた。
「私は離れたくないと大泣きしていた時、あの方が仰って下さいました」
 その後の彼女の表情はすごく嬉しそうにこう言った。
「困った時が来たらいつでも呼びな。すぐに飛んできてやる、と」
 背筋に寒気が感じるほどくさい台詞だと思ったが、何となくその人の気持ちが分かるような気がした。
「今でもその言葉は、はっきりと思い出せます。ですが、肝心なことを忘れてしまいました」
 何を? と問う前に彼女は答えを言った。
「その方の名前です」
 名前が分からなければ、会うことなんて難しいだろ。
 むしろ、俺の記憶喪失よりもたちが悪いかもしれない。
 そう思ったが、彼女は笑顔で答えた。
「それでも、私は不思議と不安にはなりませんでした。あの言葉さえあれば、必ずまたお会いになれると信じています」
 ですが、とセレナは声のトーンを落とした。
「15年前の事ですし、その方は忘れてしまっているでしょうね」
 15年前ということは、当時のセレナは5才ぐらいで、その人は当時10才ぐらい。今は25前後だろう。
 ……俺と歳が近いな。
 しかし、ただ近い程度で、一端のナイトがそんな貴族の息子と親しみがあるはずがない。
 どうやら、彼の記憶探しもかなり困難を記すかも知れないと考えていると、セレナの悲しそうな声が聞こえた。
「意地汚いですよね……」
 セレナの言葉はそこで途切れた。
 不信に思い、視線を彼女に向けてみれば、声を押し殺すようにしてぐずりながら泣いていた。
「15年も……、前の事を……いつまでも覚えていて、引きずっているなんて、……私、意地悪い女ですよね」
 両手で顔を覆い、嗚咽を漏らしながら言う言葉には、自分への憤りを感じた。
「そんな事無いさ」
 別に彼はセレナにとって彼氏でも何でもないはずなのに、自然と動いていた。
 彼は身体を起こし、彼女と向き合う。
 真っ直ぐな視線で彼女を見て思うことは、彼女を泣かせたくない、と言う事であった。
 彼女の肩に腕を回し、もう一度言った。
「そんな事無いさ。信じていれば必ず会える」
 その言葉でセレナは声を挙げて泣いた。


 その様子を遠くから見ていたベルガとキスティ。
 2人はヒューマンであるため、エルフのような長い耳を持ち遠くでも話し声が聞こえていたわけではない。
 セレナが泣き出した時、キスティが飛び出そうとしたのを必死に押さえるのには苦労した。
 しかし、遠くから見ていたとしても彼がセレナに何かを言ったり、危害を加えているようには一切見えなかった。
 やっとの思いで落ち着かせたキスティにベルガは考えを述べた。
「見ている限り、危ない奴じゃないみたいで良いんじゃないか?」
 しかし、キスティは2人から眼を外さず、
「私はそんな事を気にしている訳ではありません」
「……? んじゃ何を気にしていたんだ?」
 押し黙ったキスティは、2人から視線を外したかと思ったら、あちこちと視線を泳がせ、
「か、彼にセレナを幸せに出来るかどうかが心配なのです」
 言い切るとスタスタと行ってしまった。
「ったく、素直じゃねぇんだから」
 彼とセレナは大丈夫だろうと思い、仕方なくキスティの後を追うことにした。


 時刻は夕食時となり、宿屋の食堂は人々で賑わうようになった。
 到る所で戦いの疲れを癒そうと酒や肉が並び、笑い声も聞こえる。
 そしてここ、セレナたちのテーブルの上にも様々な料理が並べられている。
 右手にビールジョッキを掲げ、音頭を取るのはベルガだ。
「さて、彼に改めて礼を言わせてくれ。ここは俺らのおごりだ。じゃんじゃん食ってくれい。なんせ命の恩人なんだから、これではいお終いなんて事はないから安心して食って良いぞ」
 わっはっはっは、と馬鹿笑いを繰り返しながら、彼のジョッキにビールを足してゆく。
「いや、もう気持ちだけで十分だ」
「まぁまぁ、そう言わずに。ほら飲んだ飲んだ」
 何だかんだ言わせて飲ませたいだけなのだろうか。
 彼は仕方なくビールで喉を鳴らしていく。
「本来なら、何か見返りなるものも送りたいのだが、生憎持ち合わせにそれほど良いものは無いんだ」
 彼らの荷物に余分なものなど一切無かった。
 長期冒険ではなく逃げる立場のため、観光気分で各地を回っている訳ではない様だ。
「なんならセレナを貰ってみるか?」
「ええ!?」
 セレナの驚きの声と共に、彼も喉を降っていたビールが一瞬昇り咽た。
 噴出さなかっただけでも幸運と言えるだろうが、代わりに激しく咳が出る。
「そそそそんなわわわ私なんて料理や洗濯なんて何にも出来ないしそれに私なんかよりももっといい女性ならたくさんいることだし――」
 顔と耳を真っ赤にして暴走しているセレナにベルガは大笑いを繰り返していると、 
「サイレンス」
 突然ベルガの声がピタリと止んだ。
 見れば、腹を抱えて笑うポーズは取っているが声は一切出ていない。
 サイレンスをかけた本人、キスティへ視線を送ると、彼女はすました顔で、
「お気になさらずに」
 と答えた。
 それからセレナを宥め、ベルガが落ち着くのを待った後で、本題に入った。
 内容は、彼の記憶についてだった。
「それにしても、自分の名前も何の手がかりになる物が何も無いときたか……」
 何かいい方法が無いかと考えてみるが、当然そんな答えなんて思い付いていれば今頃実行に移している。
「装備を見るからには、かなりの凄腕だと思うから知り合いの1人や2人いても可笑しくないだろうけど、どうしたものかねぇ」
 彼が持っている防具は少し金をかければなんとか手に入るものだが、全部揃えるのはなかなか難しい。
 今のところ、彼の身元の手がかりなる物はそれぐらしかないだろう。
「そこで相談なのだがよ」
 悪戯っぽくベルガが言い出すと、キスティが何かに気付いたように慌てた。
「ベルガ! 待ちなさい!」
 と叫ぶが、ベルガは気にした様子も無く言い出した。
「俺らのクランに入らないか?」
「……え?」
「もちろんずっと居てくれとは言わない。何かを思い出したり知り合いに会えたらそっち移ればいいんだからさ。それに、一人で探すよりもより多くの人で探したほうがきっとはやく見つかるって」
 みんなで探すことがはやく記憶を取り戻す根拠になるとは到底思えなかった。
「それに、セレナはすっかりお前の事を気に入っちまったようだしな」
 ベルガからセレナへ視線を向けると、目が合った。
 しばらくお互いを見詰め合っていたが、3秒ぐらいたった後、セレナの顔が火を噴いたように真っ赤になってうつむいた。
 もしも、ここで断った場合、恐らくきっと彼はいつもと変わらぬように、いつもの場所で空を見上げる事になるだろう。
 ……確かに、良い切欠かもしれないな。
 うん、と頷き、
「お手数ではなければ動向させて頂きたい」
 その言葉で一番喜んだのセレナであった。
「はい、よろしくお願いします。……えっと」
 言葉が詰まった。
 それもそうだ。彼には未だに名前が無いのを忘れていた。
「ははは早速名前を決めないとな。いつまでも名無しじゃきついだろ」
「そうですね。何がいいでしょうか?」
 しばらく考えてみるようだが、何も思いつかないようだ。
「ダメだ。俺はまったく思いつかない。お前はどうだ?」
 もし、ベルガが何かを思い出したとしても碌な名前にならなかっただろ。
 彼はしばらく考えてみて、脳裏に引っかかった言葉を口にしてみる。
「……ファーゾルト」
「ファーゾルト?」
「ああ、何となく思いついた」
「ファーゾルトねぇ。……うん、良いんじゃねえか? よし! お前の名前はファーゾルトに決定! よろしくなファーゾルト」
 ベルガが手を差し出し握手を交わし、
「よろしくお願いします、ファーゾルト」
 セレナも笑顔で迎えてくれる。
「よろしく」
 キスティだけは不機嫌っぽく見えるが、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「よろしく頼みます皆さん」


後編へ

〓〓〓〓〓 あとがき 〓〓〓〓〓

 試作品第2号です
 しかし、試作品というのも関わらず、すいすいと筆が進み
 結構充実した内容になってしまったと思う今日この頃です
 前作った作品同様に、完成しない可能性が少なからず多少あるような気がします
 「是非続きが読みたい!」、「外伝の方を進めろよ!」という応援、罵声など御座いましたら
 BBSやリネージュ内部でお声をお掛けください<(_ _)>ペコ


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